江戸時代中期
1788年(皇紀2448)天明8年1月30日
天明の大火により、初めて開門される
それまで開かずの門だったため、焼けて口を開ける蛤に例えられ「蛤御門」と称されるようになる
幕末維新
1864年(皇紀2524)元治元年7月19日
尊王攘夷の長州藩が、京都で新選組に襲撃を受けて打撃を受け(池田屋騒動)
強硬派を中心に挙兵し、約3000名の藩士が上洛し、御所を守る薩摩藩・会津藩など幕府軍と激戦になる
蛤御門付近が、一番の激戦地となり、「蛤御門の変」と称される
長州軍の敗戦に終わったが、「どんどん焼け」「鉄砲焼け」で、
京都市街地の約半分が焼失してしまう
蛤御門には、現在でも、そのときの戦いによる銃の弾痕跡が残っている