蛇塚古墳(へびづかこふん)
所在地:
京都市右京区
太秦面影町
地図情報
形状:横穴式前方後円墳
墳丘長:約75m、石室の長さ:17.8m
年代:古墳時代後期
国の史跡(1977年(皇紀2637)昭和52年5月4日指定)
蛇塚古墳(へびづかこふん)は、京都府でも最大の横穴式石室がある大きな前方後円墳
古墳時代後期の7世紀頃に、巨石を積み上げて築造されたもの
高度な土木技術・農業技術・機織技術を持っていた渡来人秦氏一族の首長のお墓と推定される
【蛇塚古墳】
<築造時期>
古墳時代後期の6世紀末から7世紀頃に築造されたといわれる
京都府の前方後円墳としては最後の時期
蛇塚古墳や天塚古墳など
太秦地区では、前方後円墳が多く、
甲塚古墳のある
嵯峨野地区では、円墳・方墳が多い
<被葬者>
不詳だが、高度な土木技術・農業技術・機織技術を持っていた
秦氏一族の首長クラスの人物といわれる
<墳丘>
築造されたときには、全長約75mの西南向きの前方後円墳だった
現在
封土がなくなり、後円墳中央部の巨石を積み上げた石室が露出している
石室の天井石は失われている
<石室(
国の史跡)>
横穴式石室は、後円部東南に開口している
石室の長さは、17.8m
主室である玄室の長さ6.8m、幅3.8m、高さ5.2mで、床面積は25.8m2で全国第4位の大きさ
縦横4〜5m、高さ2〜3mほどの巨石など大小30数個の石が積み重ねられている
これらの巨石は、堆積岩で、
保津川から運んだと推定される
【その他】
<名前「蛇塚」の由来>
石室内に蛇が棲んでいたことから名付けられたといわれる
かつては「岩屋(いわや)」とも称されていた
<垂箕山古墳(片平大塚古墳)>
蛇塚古墳の北にある前方後円墳
墳丘長約75m
仲野親王高畠陵で宮内庁が管理している
築造は、古墳時代後期で6世紀中頃といわれる
【アクセス】
嵐電 帷子ノ辻駅 徒歩約5分
【京都検定 第3回2級】
【京都検定 第5回1級】