本間精一郎遭難地(ほんませいいちろうそうなんのち)
所在地:
京都市中京区
木屋町通四条上ル東側下樵木町
地図情報
本間精一郎遭難地(ほんませいいちろうそうなんのち)は、越後国出身の勤皇の志士 本間精一郎が、
薩摩藩・土佐藩志士に暗殺された場所
木屋町通は、幕末維新の時代には、天誅や志士の暗殺が多く起こった通りで、本間精一郎が暗殺された場所にも石碑が立つ
【本間精一郎】
本間精一郎(ほんませいいちろう)は、越後国出身の尊王攘夷の急進派の勤皇の志士
贈従五位
江戸時代後期
1834年(皇紀2494)天保5年
越後国三島郡寺泊(現在の新潟県長岡市)生まれ
文武に長じ、江戸に出て、清河八郎らと親交を結び、清河八郎より一足早く京都に上って、
薩摩藩や
土佐藩の浪士に倒幕を説いた
利発で勝気な気性の性格で、論争に強かったため、また、好酒色により、同志に嫌われた
1862年(皇紀2522)文久2年 閏8月20日夜
先斗町で、
薩摩藩・
土佐藩の同志に大量の酒を飲まされ、その帰り道に襲われ、
ここの南側の瓢箪露路を木屋町へ逃げようとしたが、はさみ討ちにされ、天誅(てんちゅう)を受ける
29才だった
【本間精一郎遭難地へのアクセス】
阪急電車 京都線 河原町駅 徒歩約5分
【京都検定 第13回2級】