高瀬川一之舟入(たかせがわいちのふないり)は、木屋町通の二条を下った付近にある史跡
高瀬川を運行する高瀬舟の伏見や大坂への起点となっており、荷物の揚げ降ろしや、船の方向転換をするための
堀割の船溜所(ふなどまりしょ)だったところで、石碑が立っている
船入(ふないり)は、二条から四条にかけて、高瀬川から西側に直角に突き出すように9ヶ所設けられていた
現在は、一之舟入を残し、全て埋め立てられてしまい、
一之舟入も、当時の貨物積卸場の掘割の一部と、復元された高瀬舟が一艘あるだけとなっている
二之船入跡・三之船入跡の石碑が残る
「木屋町」の町名は、この辺りに材木屋や問屋が立ち並んでいたことに由来する
江戸時代初期
高瀬川は、角倉了以によって、物流用に開削された木屋町通沿いの運河
高瀬川は、水深は数10cm程と浅く、物流には底が平らで喫水の少ない「高瀬舟」と称せられる小舟が用いられた
百数十隻が、二条から伏見を上下して、大阪などの物資が京に運び込まれていた
現在の七条通の北側には、「内浜(うちはま)」と称される船溜まりがあった
「内浜」の名前は、御土居の内側に位置したことに由来する