恵解山古墳(いげのやまこふん)は、長岡京市勝竜寺・久貝にある古墳
京都府南部の乙訓地域最大の古墳
明智光秀と豊臣秀吉が戦った山崎の戦いにおいて明智光秀の本陣が置かれたともいわれる
京都府南部の乙訓地域最大の古墳
京都盆地から大阪平野に通じる狭隘部で、桂川・宇治川・木津川の合流点東北の平野部にある
<前方後円墳>
全長128m
後円部直径78.6m
高さ7.6m
前方部幅78.6m
高さ6.5m
古墳の周囲には、幅25mの浅い周濠がある
周濠を含めた古墳の全長は約180m
斜面全体に石が葺かれ、平らなところには埴輪が立て並べられていたことが確認されている
<内部主体>
後円部が以前より墓地となって失われている
竪穴式石槨と推定されている
<副葬品埋納施設>
前方部に墳丘の主軸に並行して見つかる
長さ6.6m、幅0.9mの木棺状
鉄刀、鉄鏃など総数700点以上の鉄製武器類が出土した
<恵解山古墳出土品 一括(京都府指定文化財)>
京都府立山城郷土資料館に寄託されている
刀剣類:直刀146点、鉄短刀1点、鉄剣11点、鉄短剣52点、槍57点以上
弓矢の鉄鏃472点
工具漁具類:鉄ヤス状製品5点、鉄蕨手刀子(わらびてとうす)10点
玉類:碧玉管玉1点
埴輪 一括
<その他の出土品>
東西の造り出し部から、蓋(きぬがさ)、家形、水鳥などの形象埴輪が出土した
<国の史跡「乙訓古墳群」>
国の史跡に指定されていた「天皇の杜古墳」「恵解山古墳」「寺戸大塚古墳」の3件を統合し、
他の古墳8基を追加指定されて、「乙訓古墳群」と名称変更される
<恵解山古墳公園>
古墳が造られた5世紀前半の姿を復元し、埴輪列や葺石などの復元整備工事が行われ、恵解山古墳公園として開園する
平坦面には約650点の埴輪を並べ、斜面の一部には葺石(ふきいし)が敷き詰められている
武器埋納施設の原寸写真模型、古墳復元模型、乙訓地域地形模型などが置かれている
蓋形埴輪(きぬがさがたはにわ)なども置かれている
<明智光秀の本陣>
明智光秀が豊臣秀吉と戦った山崎の戦いにおける本陣が置かれたといわれる
発掘調査により、長岡京市埋蔵文化財センターにより、恵解山古墳が光秀の本陣跡だと発表されている