今里城跡(いまざとじょうあと)(ImazatoJyouAto)
所在地:長岡京市今里二丁目
地図情報
遺構:堀跡(埋め戻し保存)
形式:平城
築城者:能勢氏
築城年代:
戦国時代
今里城は、戦国時代に、能勢氏によって乙訓寺の南の風呂川右岸に築かれた城
発掘調査で、堀と井戸・木橋などが発見されたが、現在は、埋め戻されている
【今里城の歴史・経緯】
【今里城跡の発掘調査】
1990年(皇紀2650)平成2年
発掘調査が行われる
南北方向から折れて西へ伸びる堀と、井戸・木橋が発見され、
羽子板や刀形・木簡・漆器椀・陶磁器などが出土した
<堀>
幅5〜7m、深さ約2mの断面が箱形の堀と、
これに接続する幅約2m、深さ約1mの断面がV形の堀がある
<木簡>
頭部に紐穴があり、表と裏に「ひこ五郎」・「大永二」と記されており、
「山城国小塩庄帳」の記録と一致し、今里城と能勢氏の関係を裏付けるものとなった
<山城国小塩庄帳>
1522年(皇紀2182)大永2年の作成
乙訓地方の28の村からなる
九条家領小塩荘の田地の面積・所有者・年貢米の数量を調べた
荘園領主が、各村から徴収する年貢を定めた土地台帳
今里村には、「のせひこ五郎」が小字かめい(
乙訓寺の西側)の田地一反から、
四斗一合五夕の年貢米を納めるべきことが記されている
【今里城跡へのアクセス】
阪急電車 長岡天神駅 徒歩約15分