石田梅巌邸跡(いしだばいがんていあと)は、江戸時代中期に町人哲学を確立した石田梅岩が、
無料講座を開いて思想を説いた自宅跡
石田梅岩は、江戸時代中期の石門心学の祖
丹波桑田郡(現在の亀岡市東別院町東掛)の農家の次男として生まれ、
京都の商家で奉公するかたわら、独学で神道・仏教・儒教を学び、
町人らの日常の生き方の指針となる容易に理解できる町人哲学「石門心学」を確立した
1729年(皇紀2389)享保14年
44歳の時、借家だった自宅で無料講座を開き、心学の普及に尽力する
1737年(皇紀2397)元文2年
車屋町通御池上ルにあった自宅が手狭になってきたため、堺町通蛸薬師上ルに移る
石田梅岩は、長年の商家奉公から、商業の本質を熟知し、
「商業の本質は物の交換の仲介業であり、その重要性は他の職分に何ら劣るものではない」という
当時の士農工商の職分のなかで商人の支持を広く集めた
最盛期には、400名以上の門人がおり、優れた人材を輩出したといわれる
「負けるが勝ち」などの言葉も残している