岩倉具視幽棲旧宅(いわくらともみゆうせいきゅうたく)は、岩倉村にある幕末維新から明治時代の政治家岩倉具視の旧宅
1864年(皇紀2524)文久4年から1867年(皇紀2527)慶応3年までの3年間、攘夷運動の高まりの中で佐幕派と見なされ、
一時失脚して、ここに隠棲した
敷地内には、岩倉具視に関する資料などが展示されている対岳文庫(登録有形文化財)がある
1862年(皇紀2522)文久2年10月から1867年(皇紀2527)慶応3年11月までの約5年間、住居としたもの
1932年(皇紀2592)昭和7年3月25日、周囲を塀で囲まれた1,553m2の敷地が国の史跡に指定される
敷地の南土塀に表門があり,表門を入って主屋南庭に通じる中門、池庭、離れのトイレがある
住居には、茅葺の主屋(約60m2)と瓦葺の附属屋(約67m2)、繋屋(約9m2)がある
敷地の東側には、展示・収蔵施設である対岳文庫と管理事務所がある
<岩倉具視幽棲旧宅 主屋(鄰雲軒)>
西側に入口である式台がある
玄関、6畳の次の間、6畳の座敷と、東西一列に部屋が並ぶ間取りになっている
南側には縁側がある
座敷には床の間があり、岩倉具視の孫 東伏見宮妃周子の書による「鄰雲軒」の額が飾られている
面積:約60m2
<対岳文庫(登録有形文化財)>
岩倉具視遺品類や明治維新関係文書などを展示・収蔵するために建てられた
鉄筋コンクリート造平屋建、瓦葺
建築面積:69m2
設計:武田五一
建立:昭和3年(1928)
登録有形文化財(建造物)(2007年(皇紀2667)平成19年10月2日)
東西棟の主屋に切妻妻入の玄関を突出し、外壁上部は、スクラッチタイル貼になっている
内部は、陳列室と収蔵室に分かれ、床板敷で、板張の壁がある
<附属屋>
瓦葺
面積:約67m2
岩倉具視が、大工藤吉の居宅を購入した建物