聚楽第(じゅらくだい)は、関白になった豊臣秀吉が平安京の大内裏跡の内野に創建した天守閣を持つ壮大な屋敷
北は一条通、南は丸太通、東は堀川通、西は千本通の広大な敷地を持っていた
いたるところに金箔が貼られた豪華爛漫な建物で、堀が巡らされた城郭だったといわれる
豊臣秀吉の都市改造政策の一環でもある
聚楽第西堀跡・東堀跡に、石碑・駒札が立てられている
<出世稲荷神社>
豊臣秀吉が、聚楽第の敷地内に稲荷社を勧請して創建したのが由来
<今宮神社御旅所>
豊臣秀吉が、聚楽第の産土神社として、現在の地に今宮神社御旅所を再興した
<上京区一番町から七番町>
上京区の北西部にあたる
聚楽第の西南に、全国から造営のために集められた武士らの住居街が造られたの武家町跡
現在は、各宗派の寺院がいくつもあり「てらまち」とも称される地域になっている
<上京区 千両ヶ辻>
聚楽第の城郭の北側に位置し、千両ヶ辻界隈の南側には北之丸の堀跡の落込みが確認されている
千両ヶ辻南玄関口にあたる大宮通中立売北西角には、聚楽第 本丸東濠を表示する石碑も建てられている
<上京区 主計町(しゅけいちょう)>
豊臣秀吉が、聚楽第周辺に諸大名を集住させた武家町の一つ
主計守(かずえのかみ)加藤清正の屋敷もあった
<大徳寺>
唐門(国宝)
華麗な装飾彫刻と彩色を持ち「日暮の門」と称され、日光東照宮の日暮門の模型といわれる
越後 村上周防守忠勝が、聚楽第遺構を譲り受けて移築したといわれる
<西本願寺>
飛雲閣(ひうんかく)(国宝)
聚楽第の遺構といわれ、桃山様式の建築で、金閣・銀閣とともに「京都の三閣」と称される
<明王院 不動寺>
不動明王
豊臣秀吉が聚楽第を創建したときに、苔むしになった石仏を持ち帰ったところ、毎夜、霊光を放ったので元に返されたといわれる
<報恩寺>
後柏原天皇より、下賜された虎の掛け軸「鳴虎図(なきとらず)」
豊臣秀吉が気に入り、聚楽第に持ち帰り床に掛けて観賞していたが、毎夜、吠えて眠れずに、返されたものといわれる
<太閤の石仏>
太閤 豊臣秀吉が、北白川の里を訪れたとき、街道沿いに立っていた立派な石仏が気に入り、聚楽第まで持ち帰り祀った
毎晩、地響きのようなうめき声が聞こえるようになり、
石仏が、北白川の地に戻りたく泣いていることが分かり、元の場所に安置されたといわれる
<堀川ごぼう>
聚楽第が取り壊された後、掘が、付近の住民が捨てたゴミで埋められ、
そこに農民が、巨大なごぼうを作りはじめたことに由来する京の伝統野菜
<ルイス・フロイス>
天正遣欧使節の帰国に同行して聚楽第で豊臣秀吉と会見した
<狩野永徳>
聚楽第、安土城、大坂城などの障壁画を制作したが、建物とともに滅びてしまったものが多い