加賀藩邸跡(かがはんていあと)(KagaHanteiAto)
所在地:
京都市中京区木屋町通御池南西角上大阪町
地図情報
加賀藩邸跡(かがはんていあと)は、江戸時代初期から明治維新まで、
現在の木屋町通御池南に、加賀藩(石川県)の藩邸があったところ
高瀬川の西側から河原町通の間の広い敷地が合った
藩邸には留守居役が詰め、町人の御用掛が指名されて連絡事務が行われていた
【加賀藩の歴史・経緯】
【加賀藩】
加賀藩は、
江戸時代において、外様(とざま)の最大の大名
百二万七千石あった
前田家が代々藩主となっていた
五代 前田綱紀(まえだつなのり)は、文治政治(ぶんちせいじ)を行った英主
東寺の古文書を整理するなど京都との関係を深めた
藩邸は、文化的に京都と加賀藩を結びつける役割を果たしていた
幕末維新
他の藩のように、激変する政局の中で活躍することはなかった
1866年(皇紀2526)慶応2年
鳥羽・伏見の戦いに出兵するが、幕軍の劣勢に引き返す
戊辰戦争では、官軍について北越で戦った
【加賀藩邸跡へのアクセス】
地下鉄 市役所前 徒歩約5分
【京都検定 第4回1級】