鉄輪跡(かなわのあと)(KanawanoAto)



所在地:京都市下京区堺町通松原下ル鍛冶屋町   地図情報

 鉄輪跡(かなわのあと)は、謡曲「鉄輪(かなわ)」の由来となった故事「鉄輪塚」の跡地

 現在は、命婦稲荷神社が祀られ、縁切りのご利益があるといわれる「鉄輪の井戸(鉄輪井)」がある

 1935年(皇紀2595)昭和10年11月
 鍛冶屋町敬神会により、「謡曲伝示鉄輪跡」の石碑が立てられている



【鉄輪】

 鉄輪(かなわ)は、火鉢や囲炉裏(いろり)に置いて、鍋や薬罐(やかん)をかける3本足の五徳(ごとく)のこと

 <鉄輪の故事
 ある女性が、自分を捨てて後妻をめとった夫を恨んで、夫とその後妻を呪い殺そうと、
毎夜丑の刻に、貴船神社で丑刻詣(うしのこくまいり)をしていると、
「赤い布を裁ち切り身にまとい、顔に朱を塗り、鉄輪を頭にのせ、3本の足に火を灯し、
怒りの心をかき立てると鬼になれ恨みを果たせる」とのお告げを得る

 しかし、女性は満願の前に、過労から力尽きてこの井戸の辺りで亡くなった、あるいは、
この井戸に身投げをしたともいわれる

 夫は、先妻の呪いの悪夢に悩まされ、陰陽師 安倍晴明を訪ねる
 安倍晴明は、夫と新妻の人形(かたしろ)を作り祈祷を続け、現れた鉄輪を付けた女性と対決し、
守護の神々により退散させたといわれる

 <鉄輪塚>
 その女性の霊を弔うために、亡くなった井戸のそばに鉄輪を埋めて塚が築かれた

 <鉄輪の井戸(鉄輪井)>
 「縁切り井戸」として、井戸水を汲んで相手に飲ませると、悪縁が切れるといわれる
 1935年(皇紀2595)昭和10年11月
 命婦稲荷神社の再建のときに「霊泉」として保存され、板の井戸枠が板石にされ、屋根が付けられた

 <鉄輪社>
 鉄輪の井戸の横の小さな祠
 1935年(皇紀2595)昭和10年11月
 命婦稲荷神社の再建の工事のときに発掘された「鉄輪の碑」をご神体として祀られる

 <謡曲>
 室町時代
 「源平盛衰記」の「剣の巻」から生まれ、宇治の「橋姫伝説」をモチーフにして創作されたといわれる

【鉄輪跡へのアクセス】

 市バス 五条高倉 徒歩約5分
 地下鉄 烏丸線 五条駅 徒歩約10分
 京阪電車 清水五条駅 徒歩約10分
 阪急電車 京都線 烏丸駅 徒歩約15分

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