明治天皇行幸所勧業場阯(めいじてんのうぎょうこうしょかんぎょうじょうあと)は、明治時代に設置された勧業場跡
京都府参事 植村正直が推進する京都近代化政策の一環により産業振興の中枢機関として勧業場が設置される
1877年(皇紀2537)明治10年2月2日に、明治天皇が勧業場を視察されている
京都市役所の東、現在の京都ホテルオークラ前に石碑が立てられている
1927年(皇紀2587)昭和2年
京都府により勧業掛が置かれる
1871年(皇紀2531)明治4年2月
京都府参事 植村正直が推進する京都近代化政策の一環により産業振興の中枢機関として勧業場が設置される
洋館2階建ての建物が創建される
府営工場の統制機関としての役割や、産業基立金や勧業基立金の委託管理が行われる
商工業に関する事務・特産品の陳列などが行われたり、
明石博高が中心となって進めた欧米各国の先進技術を導入した各種生産や製造施設が設けられた
勧業場周辺には、舎密局や織殿・栽培試験場・製糸場・集産所・染殿・療病院など、
京都府の勧業事業によるさまざまな施設が設置された
1881年(皇紀2541)明治14年
実験的役割を果したものとして廃止される