閑院跡(かんいんあと)は、二条城・全日空ホテルの南東にある西福寺の前に、石碑と駒札が設置されている
平安時代から鎌倉時代初期にかけてあった藤原氏の邸宅跡
現在の西洞院通・押小路通・油小路通・二条通に囲まれた150m四方の地域
藤原冬嗣(ふじわらふゆつぐ)が平安左京三条二坊に創建した邸宅で、あった
藤原公季(ふじわらのきんすえ)が継いで、「閑院」と称されるようになる
庭内には泉が湧き、その閑雅な風情から「閑院」と名付けられたといわれる
現在の古城町、下古城町など周辺の6町にわたり、
現在の西洞院通・押小路通・油小路通・二条通に囲まれた150m四方の地域
大内裏が荒廃し、
後三条天皇・堀河天皇・高倉天皇・後鳥羽天皇などの
安徳天皇を除く後深草天皇まで、9代90年ほど里内裏となっていた
<閑院内裏址>
西福寺の南東角、押小路小川通の角に石碑が立っている
里内裏となっていたことを示す
<順徳天皇の詩>
閑院の南殿にて月前松を詠める
いまはまた世々をかさぬる庭の花
ふりてぞみゆる秋の夜の露
<豊臣秀吉妙顕寺城跡>
桃山時代
閑院跡に妙顕寺が建てられ、その後、豊臣秀吉が妙顕寺城を建て、聚楽第の完成まで京都の政庁とした
<東三条殿跡>
押小路通を東に釜座通付近には、同じく里内裏にもなった、藤原氏の広大な邸宅があった