閑院内裏址(かんいんだいりあと)は、二条城の東にある西福寺の南東角に立っている石碑
平安時代から鎌倉時代初期にかけてあった藤原氏の邸宅跡で、里内裏となっていた
閑院は、現在の西洞院通・押小路通・油小路通・二条通に囲まれた150m四方の地域
中京区押小路小川通の角、西福寺の南東角に石碑が立つ
藤原冬嗣(ふじわらふゆつぐ)が平安左京三条二坊に創建した邸宅であった
藤原公季(ふじわらのきんすえ)が継いで、「閑院」と称されるようになる
庭内には泉が湧き、その閑雅な風情から「閑院」と名付けられたといわれる
現在の古城町、下古城町など周辺の6町にわたり、
現在の西洞院通・押小路通・油小路通・二条通に囲まれた150m四方の地域
大内裏が荒廃し、
後三条天皇・堀河天皇・高倉天皇・後鳥羽天皇などの
安徳天皇を除く後深草天皇まで、9代90年ほど里内裏となっていた
<石碑「閑院内裏址」>
建立年:1915年(皇紀2575)大正4年
建立者:京都市教育会
碑文:
(北側)此附近 閑院内裏址
(南側)大正四年十一月建之 京都市教育会
(東側)寄附者 柏木亀蔵
<閑院跡>
西福寺の門前に閑院だったことを示す駒札が立てられている
<順徳天皇の詩>
閑院の南殿にて月前松を詠める
いまはまた世々をかさぬる庭の花
ふりてぞみゆる秋の夜の露
<豊臣秀吉妙顕寺城跡>
桃山時代
閑院跡に妙顕寺が建てられ、その後、豊臣秀吉が妙顕寺城を建て、聚楽第の完成まで京都の政庁とした
<東三条殿跡>
押小路通を東に釜座通付近には、同じく里内裏にもなった、藤原氏の広大な邸宅があった