菅家邸址(かんけていあと)は、平安時代、文章家として朝廷に仕えた菅家(菅原氏)の邸宅跡
菅家(菅原氏)は、菅原道真など多くの学者を輩出し、この地は、菅家廊下(かんけろうか)といわれた学問所の跡
菅原道真の誕生の地ともいわれ、産湯に使われたという天満宮誕浴の井が残っている
菅原道真が大宰府に左遷する直前に、
「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて春なわすれそ」と詠まれた飛梅の地でもある
当時の邸宅の広さは、五条坊門小路(現在の仏光寺通)を中心に南北二町、東西一町あったといわれる
鎌倉時代
五条坊門小路(現在の仏光寺通)を挟んで、南北に分かれたといわれ、
南側には、「白梅殿」と称される菅家代々の邸宅跡の石碑が立ち、
北側には、「紅梅殿」と称される菅原道真の邸宅跡の石碑が立つ
平安時代当時の邸宅の広さは、五条坊門小路(現在の仏光寺通)を中心に南北二町、東西一町あったといわれる
<白梅殿>
仏光寺通を挟んで南側
菅家代々の邸宅があった
菅原道真の誕生の地ともいわれ、産湯に使われたという天満宮誕浴の井が残っており、
「天神御所」とも称される
現在は、菅大臣神社(かんだいじんじんじゃ)がたつ
<紅梅殿>
仏光寺通を挟んで南北側
菅原道真の邸宅があり、西寄りに菅原道真の書斎があった
菅原道真が大宰府に左遷する直前に、
「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて春なわすれそ」と詠まれた飛梅の地でもある
清少納言の「枕草子(第20段)」で、紅梅殿について、「素晴らしい邸宅」の一つとして記されている
現在は、北菅大臣神社(きたかんだいじんじんじゃ)がたつ
<飛梅伝説>
菅原道真が太宰府に左遷される前に、紅梅殿にあった梅に、
「こち吹かば匂ひをこせよ 梅の花 あるじなしとて春なわすれそ」と詠んだところ、
菅原道真を慕って、一夜のうちに太宰府に飛んで行ったいったといわれる
現在、受け継がれてきた飛梅が、白梅殿(菅大臣神社)の鳥居の横に立っている
菅原道真の誕生の地とされているところが数ヶ所ある
<菅大臣神社>
下京区
菅家(菅原氏)邸宅「紅梅殿・白梅殿」
天満宮降誕之地の石碑
産湯に使われた天満宮誕浴の井
<菅原院天満宮神社>
上京区
菅原道真・父親・祖父の3代の邸宅「菅原院」跡
産湯に使われた菅公初湯井
<吉祥院天満宮>
南区
菅原清公(菅原道真の祖父)の邸宅跡
へその緒を埋めた「胞衣塚」