桂小五郎幾松寓居跡(かつらこごろう いくまつ ぐうきょあと)
所在地:
京都市中京区
木屋町通通御池上ル東側上樵木町(料亭幾松前)
地図情報
桂小五郎幾松寓居跡(かつらこごろう いくまつ ぐうきょあと)は、長州藩藩士 桂小五郎と妻 松子となった芸妓 幾松が暮らした屋敷跡
高瀬川沿いの一之舟入跡の近く木屋町通(きやまちどおり)に石碑が立つ
桂小五郎は、幕末維新・明治維新に活躍した長州藩藩士・政治家
幕末維新では、坂本龍馬の斡旋で、長州藩の外交担当者・指導者・藩庁政務座の最高責任者として活躍し、
尊王攘夷派の中心人物で、薩摩藩の西郷隆盛らと薩長同盟を協議し討幕の中心として活躍する
徹底的に闘争を避け「逃げの小五郎」と称された
明治維新では、明治新政府の参議として、版籍奉還・廃藩置県を推進し、海外視察も行い、
憲法制定や三権分立国家を勧めた
長州藩藩主 毛利敬親や、明治天皇から厚く信頼された
西郷隆盛・大久保利通とともに「維新三傑」の一人とされる
【幾松(いくまつ)】
幾松(いくまつ)は、花街三本木の芸妓
桂小五郎と恋仲になり、
新選組に追われながら苦難の時代を過ごしたといわれる
新選組に追われ、幾松の機転で助かったこともあるといわれる
幕末維新の後
桂小五郎(木戸孝允)と結婚し、木戸松子と称する
1877年(皇紀2537)明治10年
夫
木戸孝允を亡くし、剃髪して翠香院と号する
【料亭 幾松(いくまつ)】
料亭 幾松(いくまつ)は、桂小五郎幾松寓居跡に立つ料亭
1810年(皇紀2470)文化7年
屋敷の2棟が創建され、国の有形登録文化財に指定されている
幕末維新
何度となく
新選組の斬り込みを受けたといわれる
現在も、抜け穴や、飛び穴・のぞき穴・つり天井などが保存されている
当時は、不意の敵にそなえて、幾松の間の天井には750kgほどの大きな石が仕掛けられていたといわれる
【桂小五郎幾松寓居跡へのアクセス】
地下鉄 東西線 京都市役所前 徒歩約3分
京阪電車 三条駅 徒歩約5分
【京都検定 第1回2級】