狐塚(きつねづか)は、東寺の西、新幹線高架沿いにある、幕末維新の都城六勇士の墓地
蓮華寺の横にある
<明治維新・都城六勇士の墓>
伏見を警備中だった都城の兵士6名が、新選組の一隊と遭遇し銃撃戦を誘発してしまい、
責任を問われ切腹を願い出たが許されないまま自決してしまった
六勇士
横山籐助・坂元與八郎・野辺納右衛門・安藤惣兵衛・大峰壮之助・内藤将左衛門
隣には、東寺執行 阿刀慶増氏のお墓も立つ
<顕彰碑>
1924年(皇紀2584)大正13年12月26日の命日
都城の最後の領主 島津久寛の後を継いだ、島津久家の賛同を得て建てられる
六勇士のほか、鳥羽・伏見の戦いで倒れた武田源右衛門・財部實行の2士も、共に顕彰されている
<狐塚>
現在は、西寺により管理されている
一時は、西寺・蓮華寺・慈照院・念仏寺の4ヶ寺が管理していたといわれる
<四ツ塚>
狐塚・杉塚・経田塚・琵琶塚の四つの塚がある地域
杉塚は、狐塚の東
経田塚と琵琶塚は、九条通をはさんだ東西にあったといわれる
現在は、狐塚だけが残っており、経田塚・琵琶塚は町名にのみ残っている
鳥羽・伏見の戦いの直前に、薩摩軍が本営を置いた京の七口の一つ東寺口(鳥羽口)を、
「四ツ塚関門」と称されていた