小松原・薩摩藩調練場(こまつばら・さつまはんちょうれんじょう)は、等持院と平野神社の間の平野にある薩摩藩藩士の訓練場跡
等持院近くの薩摩藩藩邸の東にあったといわれる
現在の小松原児童公園辺りと推定されている
約1万6千坪ほどの敷地があった
敷地の範囲は、宇多川以西、小松原北町以北とされる
薩摩藩大目付役 高島六三が責任者に任じられ、
砲術掛作事方目附役、山城国葛野郡小松原村薩摩藩調練場取締役となり勤番所に居住した
常動番士10数名が駐在していたといわれる
<藩主休憩所>
建物は、東西18m以上、南北9m以上あった
重臣会議場所の6畳間、床の間と物入れ附属の4畳間、他に4畳半が2部屋あったとされる
東側には方形の池があった
<宿泊場所>
藩主の従者が宿泊していたといわれる
<勤番所>
西郷隆盛も、たびたび勤番所に宿泊したといわれる
<番小屋>
屋敷内入口にあった
責任者 高島六三が住んでいたとされる
<火薬庫>
鳥羽伏見の戦いのときには、ここの火薬庫から火薬を供給したといわれる
<射撃場>
<練兵場>
<牢獄>
<薩摩藩邸跡>
二本松薩摩藩邸
<薩摩藩屋敷跡>
等持院村(現在の北区白梅町)
等持院の近くに活動拠点があった
<薩摩屋敷跡>
中京区東洞院通錦小路下ル東側
小松原児童公園付近に、小松原・薩摩藩調練場があったと推定される
開園:1939年(皇紀2599)昭和14年
広さ:約3,000m2
<公衆用放送聴取施設 ラジオ塔>
「紀元二千六百年記念建設 心身練成」と刻まれている
1940年(皇紀2600)昭和15年頃の建立
初代天皇 神武天皇の即位から2600年を祝い記念に建てられたもの