青蓮院塔頭金蔵寺跡は、青蓮院 塔頭金蔵寺があったとされる地
坂本龍馬とお龍(鞆)が、金蔵寺住職智足院を仲人として金蔵寺の本堂にて、内祝言(内々の結婚式)をしたといわれる
三条通白川橋東入南側に石碑が建つ
金蔵寺(こんぞうじ)は、青蓮院の境内の西北にあった塔頭
天台宗の寺院
「京羽二重織留」によると、「東岩倉金蔵寺」とも称された
<米地蔵尊(よねじぞうそん)>
金蔵寺の本尊
金蔵寺の廃寺に伴い、現在は、尊勝院に安置されている
像高100cm、胎内に籾粒が納められている
平安時代
慈覚大師 円仁の自作とも、遣唐使で渡ったときに持ち帰ったものともいわれる
「山州名跡誌」によると、常日頃、地蔵を崇敬していた貧しい女性が、貧窮まったときに、地蔵が米袋を持って現れ、
貧苦を脱したことから、名付けられたといわれる
霊元天皇も信仰されたといわれる
京洛四十八願所地蔵尊の第24番霊場
<境内社 三猿堂(庚申堂、御猿堂)>
金蔵寺の廃寺に伴い、尊勝院に遷される
<境内社 山王社>
<境内社 蛭子社>
恵比寿神像は、粟田神社の摂社 出世恵美須神社に遷されている
<坂本龍馬お龍「結婚式場」跡>
同じ石碑に記されている