琴きき橋跡(ことききばしあと)は、嵐山 渡月橋の北詰東側の土手にたつ石碑
「平家物語」巻六や、能「小督(こごう)」にも記されている第80代 高倉天皇とその寵姫 小督局の恋愛物語にちなむところ
<琴きき橋の故事>
第80代 高倉天皇と、その寵姫 小督局(こごうのつぼね)の恋愛物語にちなむところ
「平家物語」巻六や、能「小督(こごう)」にも記されている
平安時代末期
高倉天皇と、平清盛が世を治めていた時代
小督は、後白河天皇の側近で権力を持っていた僧侶 信西(藤原通憲)の孫で、藤原成範の娘
高倉天皇の中宮 建礼門院(平清盛の三女)に仕えていた
宮中の中でも美貌で、箏(そう)(琴に似た楽器)の名手だった
大納言 冷泉隆房(藤原隆房)(正妻は平清盛の五女)と交際していた
高倉天皇が、愛妾 葵の前を亡くし悲嘆にくれていると、
中宮 建礼門院は、高倉天皇を慰めるために、自分に仕える女房から小督を天皇に遣わせる
小督は、泣く泣く冷泉隆房との付き合いを断つことになる
高倉天皇は、美貌で箏の名手の小督を大変気に入り寵愛される
平清盛は、二人の娘を寝取られて、小督に激怒する
小督は、身の危険を知り、高倉天皇にまで災いがおよぶことを危惧して、ある夜、内裏を抜け出して身を隠す
高倉天皇は、小督も失い嘆き悲しむ
平清盛は、さらに、天皇に仕えていた女房たちを遠ざけ天皇を孤立させる
高倉天皇は、弾正少弼 源仲国に「小督が嵯峨のあたりの片折戸をした家にいると聞いたので尋ねてきて欲しい」と命じる
八月の月の美しい夜
源仲国は、どうしたものかと思案しつつ、嵯峨の千本釈迦堂から法輪寺の方へと探し尋ねた
渡月橋の付近まできたときに、琴の音が聞こえてきた
それは別れた夫を恋しく想う「想夫恋」という曲だった
笛の名手でもあった源仲国は、琴の音に笛の音色を合わせる
小督は、源仲国の仲立ちで再び宮中に戻り、高倉天皇との間に女児(坊門院範子内親王)を授かる
それを知った平清盛は、小督を、清閑寺に出家させる
高倉天皇は、平清盛の孫 安徳天皇に譲位し、まもなく病気で崩御される
高倉天皇は、小督がいる清閑寺に葬られ、小督は、菩提を弔いながら44歳まで生きる
歌人 藤原定家など、病気療養していた小督を見舞ったといわれる
小督のお墓は、清閑寺の高倉天皇陵に寄り添うようにおかれる
小督と高倉天皇との娘 範子内親王は、建礼門院の養女となり、土御門天皇の准母となる
<石碑 琴きき橋跡>
渡月橋の北詰東側の土手に石碑が立てられている
建立年:1980年(皇紀2640)昭和55年
建立者:京都西ロータリークラブ
大きさ:高さ138 x 幅24 x 奥行24cm
碑文:
(北側)琴きゝ橋跡
(東側)一筋に雲ゐを恋ふる琴の音に ひかれて来にけん望月の駒
(西側)一九八〇年二月二十三日 国際ロータリー創立七十五周年
<謡曲「小督(こごう)」>
天皇の命により、小督局を探しに当地を訪れた源仲国が、秋霧の間に微かに聴こえる琴の調べを便りに、
小督局の居所を探し得たという物語
<小督塚>
嵐山 渡月橋の近くにある、謡曲「小督」にも登場する旧跡
高倉天皇の寵愛を受けたことで、平家からの迫害を恐れて嵯峨野に身を隠した小督局の仮住居跡
渡月橋東側を北へ徒歩約5分ぐらいのところにある