九条邸跡(くじょうていあと)は、京都御苑の南西部にある五摂家の一つ九条家の邸宅跡
現在は、九条池を含んだ庭園部分のみが整備されて残っている
九条池の中島には鎮守社であった厳島神社が、池畔には茶室「拾翠亭」が現存している
九条家は、五摂家の一つの公家で、明治維新後は公爵となる
多くの摂政や関白を排出している
家紋は九条藤
平安時代末期
藤原氏北家の藤原忠通の三男である九条兼実を祖とする
九条にあった、藤原基経が創建したといわれる九条殿に住んでいたことが家名の由来となる
九条兼実の孫にあたる九条道家の子の九条教実、九条良実、九条実経が摂関となり、
それぞれ九条家、二条家、一条家を立てて、五摂家となる
公爵 九条道孝の四女 九条節子は大正天皇の皇后(貞明皇后)となる
京都御苑の南側、堺町御門の西にある
幕末維新
1864年(皇紀2524)元治元年 蛤御門の変(禁門の変)
向かいの鷹司邸に立てこもる長州藩兵を攻撃するために九条邸に会津藩藩兵が陣取り、鷹司邸に向けて砲撃が行われた
1869年(皇紀2529)明治2年
九条家は、天皇と共に東京へ移り、九条邸も取り壊され、東京へ移築される
その後、九条家より東京国立博物館に寄贈され、「九条館」と命名されたる
<九条池>
<茶室「拾翠亭」>
九条池の池畔に現存している
<厳島神社>
九条池の中島に立つ鎮守社