去来墓(きょらいはか)は、江戸時代前期の俳諧師 向井去来の遺髪が納められた塚
向井去来が隠棲した嵯峨嵐山にある落柿舎(らくししゃ)の北、天龍寺の塔頭弘源寺境外墓地内にある
高さ30cm程の小さな自然石に「去来」と刻まれたお墓
去来墓(きょらいはか)は、向井去来が隠棲した嵯峨嵐山にある落柿舎の北の弘源寺墓苑内にある
高さ30cm程の小さな自然石に「去来」と刻まれた塚があり、向井去来の遺髪が納められている
ここは、別野とされ、向井去来のお墓は真如堂にある
去来墓は、高浜虚子の歌「凡そ天下に去来ほどの小さき墓に詣でけり」にあるようにひっそりとしたお墓である
<石碑「去来塚百人一句句碑」・「西行井戸百人一首歌碑」>
同じ石碑の2面に刻まれている
墓苑の周りに多くの歌碑・句碑が立てられていることを示す
1962年(皇紀2622)昭和37年6月
弘源寺により全国から歌・句が募集された
<西行井戸>
墓苑の東側にある古井戸
小倉山山麓に住んでいた西行法師が、この井戸の水を用いていたといわれる
<西行の歌碑>
西行井戸の上にある
「を鹿なく 小倉の山の すそ近み たゝひとり住む わが心かな」
<誓興上人と涌蓮上人のお墓>
去来墓の隣に祀られており、左が誓興上人、右が涌蓮上人のお墓
涌蓮上人(ゆうれんしょうにん)は江戸時代の僧・歌人で、あられ・かきもちの原形を作った
天龍寺で奉仕し、お供えされたお餅であられをつくり、山籠り修行に持って行ったといわれる
<猿蓑>
蕉風の代表句集
野沢凡兆と協力して編纂した
<去来抄>
松尾芭蕉研究の貴重な書
・柿主や梢は近きあらし山
・応々と言へど叩くや雪の門
・つかみあふ子供のたけや麦ばたけ
・猪のねに行かたや明の月
・なき人の秋も野分のくづれ口
・千貫の劔うづむや苔の露
・秋風や白木の弓に弦はらん
・湖の水まさりけり五月雨
・をととひはあの山越つ花盛り
・尾頭のこころもとなき海鼠哉
・螢火や吹とばされて鳰の闇
・鳶の羽も刷ぬはつしぐれ
・岩鼻やここにもひとり月の客
<落柿舎>
草庵を建てて隠棲し、俳諧道場とした
1691年(皇紀2351)元禄4年
松尾芭蕉が、落柿舎に滞在し、「嵯峨日記」を著したといわれる
<覚円院>
真如堂の塔頭
向井去来は壇家で、「去来寺」ともいわれる
<真如堂>
向井去来のお墓がある