京都仙洞御所(きょうとせんとうごしょ)は、京都御苑内の京都御所の南東にある仙洞御所
仙洞御所とは、太上天皇・太上法皇・上皇など退位した天皇さんの御所
京都新城を取り壊し、後水尾上皇のために造営されたもの
2019年(平成31年)4月30日に「京都仙洞御所」と改称された
京都御苑内で、京都御所の南東に位置している
正式名称は「桜町殿」
当初にあった建物は、二条城から後水尾天皇の寛永行幸のときに使用した建物が移築され再利用された
東部には広い池を中心に庭園が広がっている
当初は、小堀遠州によって築庭されたが、後に、後水尾上皇の意向により大きく改造されている
阿古瀬淵は、京都新城の庭園の遺構といわれる
春には桜やフジ(藤)、ツツジ、秋には紅葉を楽しむことができる
<参観コース(大宮御所を含む)>
御常御殿(おつねごてん)
御車寄(おくるまよせ)
南庭
北池:寝殿造の庭にみられる池泉舟遊式庭園
阿古瀬淵(あこせがぶち)
六枚橋(ろくまいばし):6枚の切石で反りがつけられている
束橋(つかばし)
紅葉橋(もみじばし):北池と南池が繋がる
紅葉山(もみじやま)
土佐橋(とさばし)
雄滝(おたき)
八ツ橋(やつはし):複数の板をジグザグにした形状で、藤棚になっている
南池(みなみいけ):洲浜には、11万1千個ほどの大きさが揃えられた丸石が敷かれている
醒花亭(せいかてい):茶室
又新亭(ゆうしんてい):茶室
<大宮御所>
仙洞御所西北に隣接する
後水尾天皇の中宮であった東福門院の女院御所として造営される
明治時代
御常御殿が改修され、仙洞御所との塀を除き、仙洞御所を組み入れられる
大正時代
大宮御所の御常御殿の内装などが洋室に改装されるなど住居としての実用性が向上し、
仙洞御所の庭園を合わせた邸宅としての装いを整えられ、
天皇・皇后の帰京のときの滞在施設として使用されている
<仙洞御所>
太上天皇・太上法皇・上皇など退位した天皇さんの御所
「院(いん)」とも称される
上皇・法皇は、退位後、内裏から退去して、仙洞御所に移る
里内裏が仙洞御所にあてられていた
仙洞御所には、家政機関としての院庁が置かれる
白河上皇の時には、近衛として北面武士のちに西面武士が設置された
<河原院跡>
源融の死後、息子の源昇へ、さらに宇多法皇に寄進され仙洞御所になり「東六条院」と称された
<妙心寺>
平安京の北西部にあった
花園上皇の仙洞御所である「萩原院」が寺院に改められた
<佛陀寺>
村上天皇が、兄 朱雀上皇の仙洞御所朱雀院を寺院に改め、遺志をついで別院大蔵院を建立し、
朱雀上皇の法号「仏陀寿」にちなんで「佛陀寺」と称した
<光照院>
後土御門天皇から、仙洞御所でもあった持明院殿跡を賜わり、現在の地となる
<廬山寺>
本堂や尊牌殿は、光格天皇の勅命で仙洞御所から移築されたものといわれる
<京都新城>
仙洞御所・大宮御所の地には、豊臣秀吉が築いた豊臣家の本邸である京都新城があった
当時は「太閤御所」「太閤上京御屋敷」などと称されていた
豊臣秀吉が死去した翌年、大坂城から豊臣秀吉の正室の北政所ねねが居住した
2020年(皇紀2680)令和2年
本丸を囲う石垣と堀が見つかった
<京都博覧会>
第2回〜第9回が、京都御苑の大宮御所、仙洞御所で行われる
<大嘗祭>
大正時代・昭和時代にも大宮御所内の旧仙洞御所で行われた
<有人水素気球>
1877年(明治10年)
京都府は科学思想啓発のために国内初の有人気球を計画
島津源蔵がその実行責任者となり、招魂祭が行われた仙洞御所の広場で飛行試験が行なわれた