前田又吉銅像記碑(まえだまたきちどうぞうのきひ)・又吉泉記碑(またきちいずみのきひ)は、
京都ホテルオークラ前に建てられている前田又吉の記念碑
実業家 前田又吉は、京都ホテル(現在の京都ホテルオークラ)の前身である常盤ホテルを開業した
<前田又吉銅像記碑>
前田又吉の死去後、親交のあった神戸の有力者 北風正造らが、伊藤博文など知友に寄付を求めて、
前田又吉の銅像を諏訪山に建立し、由緒を記した前田又吉銅像記碑を建てた
建立年:1893年(皇紀2553)明治26年
大きさ:高さ約180cm × 幅約110cm
碑文[北]
前田又吉銅像記
前田又吉銅像成焉其遺族某等来請曰又吉嘗受公知遇公過京
摂輙館其家又吉事績公既詳悉敢願以文記之乃叙梗概曰余識
又吉幾三十年又吉雖在市井頗暁大勢故其所経営往々出于人
意之表曰開鉱泉曰賁公園曰設会館曰創義社咸得利用厚生之
道矣唯其有之亦可以銘々曰
神戸之郷 四時清和 海洋々兮 山峩々兮 又吉開荒
泉出山阿 煙供浴場 能痊沈痾 徳久誉長 千載不磨
明治二十六年十月 伯爵 伊藤博文 撰
碑文[東]
大阪石匠松原
前田又吉の銅像は、座像だったといわれる
<又吉泉記碑>
諏訪山が温泉街として発展し、神戸市内のレジャー施設となり、開設経緯を叙し又吉泉記碑が建てられた
建立年:1882年(皇紀2542)明治15年
大きさ:高さ約195cm × 幅約130cm
碑文[西]
又吉泉記
神戸之山霊泉出焉英人某氏飲而賞之曰是鉱泉也浴
之服之可以*痾延寿而人未信之独前田又吉奮曰天
有此賜付之湮晦無用可乎乃傾産鳩工刈蒿莱誅榛荊
槽而潴之屋而覆之息体有亭*悦目有花木而茶肆而
酒楼皆又吉所造於是遠近来浴者日多一日未数年寂
莫之郷頓為繁華楽土矣向微又吉則今之蹄犇轂撃者
兎走鹿跳今之歌声弦韵者狐*狼叫今之霊泉湛々者
巌罅一滴水而止耳又吉之功不亦偉乎夫此泉之効以
又吉顕又吉之功以此泉伝予故命曰又吉泉又吉年踰
耳順体健気壮精神不衰蓋亦霊泉之効云
明治壬午之歳小春月 一六居士巌谷修撰并書
<常盤ホテル>
京都ホテル(現在の京都ホテルオークラ)の前身
神戸の実業家 前田又吉が、河原町二条の京都府勧業場跡の払い下げを受け、常盤ホテルを開業
洋風木造建築3階建て
日本土木会社(現在の大成建設)(渋沢栄一・大倉喜八郎・藤田伝三郎らが設立)の施工