間部詮勝寓居跡(まなべあきかつぐうきょあと)は、越前国鯖江藩第七代藩主 間部詮勝が妙満寺に滞在していた跡
現在の京都市役所の北西、寺町押小路の駐車場の柵の中に石碑が立っている
江戸幕府の老中 間部詮勝は、幕府が調印した日米修好通商条約に反感を持った孝明天皇を説得するために上京
ここに滞在して、「安政の大獄」と称される志士の弾圧を指揮したといわれる
間部詮勝(まなべあきかつ)は、越前国鯖江藩(さばえはん)(現在の福井県)第七代藩主
間部家8代目
江戸幕府の大名で老中
安政の大獄を行い、「井伊直弼の赤鬼」に対して、「間部詮勝の青鬼」といわれた
1804年(皇紀2464)文化元年2月19日
間部詮熙の五男として江戸の鯖江藩邸で生まれる
幼名は鉞之進
1814年(皇紀2474)文化11年
越前国鯖江藩第七代藩主となる
11代将軍 徳川家斉の側近として奏者番、寺社奉行、大坂城代、京都所司代などを歴任する
朝廷対策や日米修好通商条約の調印など外交問題や、一橋派や尊皇攘夷派を弾圧する安政の大獄で活躍する
その後、大老 井伊直弼と意見が合わず、老中を罷免された
1884年(皇紀2544)明治17年11月28日
享年81(満80歳)で死去