松永貞徳花咲亭址(まつながていとくはなさきていあと)は、江戸時代初期の俳人・歌人、
貞門俳諧の祖 松永貞徳の花咲亭跡
「花咲亭逍遙軒」と称していた松永貞徳は、60代半ばで隠居して、
この地、稲荷町花開に移り住み、その屋敷が「花咲亭」と称されていた
現在の花咲稲荷神社の前に石碑が立つ
松永貞徳(まつながていとく)は、江戸時代初期の俳人・歌人
生年:1571年(皇紀2231)元亀2年
没年:1653年(皇紀2313)承応2年1月3日
出身:京都
父親:松永永種
号 :花咲亭逍遙軒
和歌・歌学を細川幽斎・九条稙通、連歌を里村紹巴(さとむらじょうは)らから学んで、
寛永年間(1624年〜1644年)における歌壇の第一人者となる
俳諧は連歌・和歌への入門として、俗語・漢語などの俳言(はいごん)を用いるべきと主張した
俳諧が流行すると中心人物として指導者になり、貞門俳諧の祖として全国に広め、
多くの優秀な後継者を輩出した
「柿園」・「芦の丸屋」・「花咲の翁」・「五条の翁」・「御傘ごさん」などと称されて親しまれたといわれる
お墓は、実相寺(南区)にある