森寛斎宅蹟(もりかんさいたくあと)
所在地:
京都市中京区
室町通二条下ル蛸薬師町
地図情報
森寛斎宅蹟(もりかんさいたくあと)は、討幕運動にも参加した
長州藩出身の
円山派の画家の邸宅跡
邸宅跡を示す石標「勤皇書家森寛斎宅蹟」は、森寛斎に師事した山元春挙らの寄進で建立されたもの
【森寛斎(もりかんさい)】
生年:1814年(皇紀2474)文化11年1月1日
没年:1894年(皇紀2554)明治27年6月2日
父親:石田伝内道政(萩藩士)
諱:公粛
贈正五位
森寛斎(もりかんさい)は、
長州藩萩の出身の画家
江戸時代後期
1814年(皇紀2474)文化11年1月1日
萩藩士 石田伝内道政の三男として生まれる
1831年(皇紀2491)天保2年
大坂に出て、森徹山に師事し、
円山派の画法を学ぶ
後に、森徹山の養子となり、森徹山の娘 一鳳と森家を継ぐ
25歳のときに京都に出て、
円山派の復興を図った
1855年(皇紀2515)安政2年
御所の造営に参加し、揮毫した
幕末維新
尊王派として討幕運動にも参加し、萩藩士として国事に奔走し、密偵として京都と
長州藩の間を往復した
幕末維新後
京都画壇の研究団体 如雲社の経営に参加、京都画壇の復興に寄与する
1882年(皇紀2542)明治15年
帝室芸員を拝命する
【森寛斎宅蹟へのアクセス】
市バス 烏丸御池 徒歩約10分
地下鉄 烏丸御池 徒歩約10分