足利将軍室町第跡(あしかがしょうぐんむろまちだいあと)は、室町幕府3代将軍 足利義満が造営した邸宅跡
室町幕府がおかれ「室町殿」「室町御所」とも称される
庭内には各地の守護大名から献上された四季折々の花木が植えられ「花の御所」とも称された
室町通今出川の東北角に石碑が立っている
室町殿の敷地は、北は上立売通、南は今出川通、東は烏丸通、西は室町通に囲まれた
東西一町・南北二町(東西110m・南北220m)の広大な敷地であった
御所(土御門内裏)の近に約2倍の規模を持ち、公家社会に対する牽制もかねていたといわれる
庭内には、鴨川から水を引いて、各地の守護大名から献上された四季折々の花木が植えられており、
「花の御所」とも称された
足利義満は、後円融天皇や関白 二条師嗣などを招いて、詩歌や蹴鞠の会などを催した
足利尊氏が後醍醐天皇を吉野に追いやったことで「逆賊」とされる足利家に関する遺構はほとんど残されていない
<大聖寺>
室町殿の邸内に建てられていた岡松殿が尼門跡寺院にされたのが由来
岡松殿は、足利義満が、正室の叔母(日野宣子)(後の岡松一品)に与えて住まわせたところ
<足利将軍室町第址石碑>
室町通今出川の東北角に石碑が立っている
1915年(皇紀2575)大正4年11月
京都市教育会により建立される
<堀出シ町>
上京区今出川通室町通西入の町
足利将軍室町第の堀があったことから名付けられた
<相国寺>
足利義満が、「花の御所」の隣接地に一大禅宗伽藍を建立することを発願して創建した寺院
京都五山の第2位にあり、五山文学の中心地