豊臣秀吉妙顕寺城跡(とよとみひでよし みょうけんじじょうあと)は、豊臣秀吉の妙顕寺城の史跡
二条城・全日空ホテルの南東にある西福寺の前に、石碑と案内板が設置されている
現在の西福寺付近一帯にあったといわれる
建物の詳細は不詳
周囲に堀をめぐらし、天守閣があったといわれる
平素は、前田玄以が居住して京都の政務にあたり、豊臣秀吉が上洛すると宿舎となった重要な政治的拠点だった
<古城町(ふるしろちょう)・下古城町(しもふるしろちょう)>
この地は、妙顕寺城があったことで「古城町」「下古城町」の地名が残っている
<閑院跡>
妙顕寺城跡碑の少し東に、平安時代の閑院跡碑が立っている
<発掘調査>
2007年(皇紀2667)平成19年
現在の地の西隣の押堀町で発掘調査が行われ、舟入とみられる遺構が見つかった
遺構の大きさは、幅10m、深さ1.4m
西側には、堀川があり、妙顕寺城への積み荷の集積場だった想定される