中岡慎太郎寓居之地(なかおかしんたろうぐうきょのち)
所在地:
京都市中京区河原町通四条上ル東側米屋町
地図情報
中岡慎太郎寓居之地(なかおかしんたろうぐうきょのち)は、薩長同盟成立に活躍し陸援隊隊長となった
土佐藩郷士
中岡慎太郎が、
脱藩後に住居とした
土佐藩御用達 書林菊屋(鹿野安兵衛宅)の跡
四条河原町通を上がった東側の商店街の商店前に石碑が立つ
中岡慎太郎(なかおかしんたろう)は、
土佐藩郷士で、
坂本龍馬とともに薩長同盟成立に活躍し陸援隊を組織し隊長となった
後に、「石川清之助」と変名
贈正四位
1838年(皇紀2498)天保9年4月13日
土佐国安芸郡北川郷柏木村(現在の高知県安芸郡北川村柏木)の大庄屋の長男として生まれる
武市瑞山の道場に入門
1861年(皇紀2521)文久元年
武市瑞山が結成した土佐勤皇党に加盟
1867年(皇紀2527)慶応3年11月15日
近江屋事件(おうみやじけん)
河原町通蛸薬師(たこやくし)の醤油屋の
近江屋
薩長同盟と
大政奉還の立役者だった
土佐藩の
坂本龍馬と盟友
中岡慎太郎が、
近江屋で
京都見廻組の襲撃を受ける
坂本龍馬は、そこで即死したといわれる
(お墓には、翌16日に闘死と記されている)
中岡慎太郎は、全身に刃傷を負い、数日後に死亡する
四条河原町を上がった商店街の店先に「
坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地」の石碑が立っている
時代祭にも登場する
【アクセス】
阪急電車 河原町駅 すぐ
市バス
四条河原町 すぐ
【京都検定 第1回2級】