長岡宮内裏内郭築地回廊跡(ながおかぐう だいりないかくついじかいろうあと)は、長岡京における第二次内裏の築地回廊跡
内裏は、天皇の私的な住居場所
内裏内郭築地回廊は、天皇を警護するために造られた廊下で、ここを兵衛(ひょうえ)たちが巡回していたといわれる
国の史跡に指定され、現在は整備された史跡公園が、北真経寺の山門すぐ西にある
<長岡宮>
国の重要な施設が置かれた、長岡京の中心部
天皇の住まいである内裏、天皇が政務を司どる大極殿、国儀の場である朝堂院があった
長岡京の最北中心線上に大極殿、その南に朝堂院が置かれ、内裏は大極殿の東側にあった
唐の長安城がモデルといわれる
<第一次内裏(西宮)>
遷都当初の長岡宮の内裏は、大極殿の北側、あるいは、西方に置かれていたといわれる
<第二次内裏(東宮)>
朝堂院の東方200mのところ
789年(皇紀1449)延暦8年2月
第一次内裏(西宮)から、東側に移建された
正殿が中央やや南寄りにあり、北部に後宮、中央部に天皇の私的空間、南半部に公的空間がある
全体が159m四方の築地回廊で囲まれ、10尺(296cm)を割り付け基準として殿舎が配置されている
発掘調査で、内裏正殿、登華殿(とうかでん)、弘徽殿(こきでん)、淑景舎(しゅげいしゃ)などが確認される
平安宮には内郭を囲む外郭があるが、長岡宮の外郭は確認されていない
内裏の中心地は、北真経寺境内の南部分にあることが確認されている
<東院>
793年(皇紀1453)延暦12年1月21日
第二次内裏 東宮を解体するために東方の「東院」へ遷御される
<長岡宮内裏内郭築地回廊跡>
朝堂院東方200mのところから中央に土塀があり、両側に廊下を通す特異な構造の築地回廊の北西部が発見された
その後、回廊の南西隅も確認される
国の史跡に指定される
築地回廊は、天皇を厳重に警護するために造られた廊下で、兵衛(ひょうえ)たちが巡回したといわれる
築地(土塀)の両側の軒を張り出させ廊下にされている、屋根は瓦葺き
東西、南北とも166m、柱間は13尺(3.88m)の等間隔、築地の幅は5尺(1.4m)であることが確認されている
北から十間目に兵衛の詰所、十二間目に門があることが確認されている
<史跡公園>
内裏内郭北西隅が、史跡公園として整備されている
北真経寺の山門すぐ西にある
大きなコンクリートの円板が廊下の柱跡、小さな円板は築地を支える寄柱の跡に置かれている
<地名「荒内」>
荒れ果てた内裏に由来するといわれる