二条御所跡(にじょうごしょあと)は、京都御所の西、平安女学院の角に石碑が立つ旧二条城の跡
織田信長が将軍 足利義昭のために造営した二条城(現在の二条城とは異なる)の跡
後に、織田信長により足利義昭が追放され、二条御所は破壊され、安土城に転用されたといわれる
武衛陣があった地を中心に拡張して約400m四方の敷地に2重の堀や3重の天主を備える城郭造の邸宅が造営された
高い石垣に櫓を設け、城内も庭園や建物に粋を凝らした堅固で華麗な城郭であったといわれる
織田信長自身が普請総奉行として現地で陣頭指揮を執り、御殿などの建築を統括する大工奉行には、
村井貞勝と島田秀満が任じられた
着工してから約70日で完成させる
石垣には京都中から集められた墓石や石仏も使われた
旧管領 細川京兆家の細川藤賢の旧邸からも、名石「藤戸石」が搬入されたといわれる
金箔瓦も発掘されている