平清盛公西八条殿跡(たいらのきよもりこうにしはちじょうどのあと)は、平安時代末期に、
現在の梅小路公園付近に築かれた平清盛の邸宅「西八条殿」の跡
周辺には平頼盛・平重盛・平宗盛など一族が集住した
鴨川の東の白河南には、平氏政権の基盤となった平清盛の邸宅「六波羅邸」があった
平家の都落ちのとき、自ら火を放ち付近一帯にある平家一門の邸宅共々、焼き払われてしまう
西八条殿(にしはちじょうどの)は、平清盛の屋敷
現在の梅小路公園とJR東海道線・JR山陰本線の線路敷地の六町歩(約518,400m2)内に
大小の邸館が50ほどあった
「平家物語」によると、
平清盛が、蓬(よもぎ)を愛し、壺庭に植えていたことから「蓬壺」とも称された
「平家物語」によると、
平清盛が、祇王の歌と気品のある舞いに心を奪われ、祇王の母や妹とともに西八条殿に住まわせ
寵愛(ちょうあい)したところ
その後、16歳の仏御前の見事な歌と艶やかな舞いに心を奪われ、祇王を西八条殿から追い出してしまう
という物語の舞台
祇王の歌碑「萌出づるも 枯るるも同じ 野辺の草 いづれか秋に あはで果つべき」が残る
<若一神社>
祭神:熊野大権現第一王子
平清盛によって勧請された西八条第内の鎮守社
境内には平清盛の像が立っている
境内前にある大クスノキは、平清盛の手植えといわれる
神木として切ると祟りがあるとして、西大路通は迂回して開通された
<祇王歌碑>
「萌出づるも枯るるも同じ野辺の草 いづれか秋にあはで果つべき」