平清盛公西八条殿跡(たいらのきよもりこうにしはちじょうどのあと)

所在地:京都市下京区七条御所ノ内本町(若一神社境内)   地図情報

範囲:東西三町、南北二町の六町歩(約518,400m2)
  北は八条坊門小路(現在の木津屋橋通と梅小路通の中間辺り)、南は八条大路(現在の八条通)
  東は大宮大路(現在の大宮通)、西は坊城小路(現在の坊城通)

  現在の梅小路公園からJR東海道線・JR山陰本線の線路敷地

 平清盛公西八条殿跡(たいらのきよもりこうにしはちじょうどのあと)は、平安時代末期に、
現在の梅小路公園付近に築かれた平清盛の邸宅「西八条殿」の跡

 周辺には平頼盛・平重盛・平宗盛など一族が集住した

 鴨川の東の白河南には、平氏政権の基盤となった平清盛の邸宅「六波羅邸」があった

 平家の都落ちのとき、自ら火を放ち付近一帯にある平家一門の邸宅共々、焼き払われてしまう

【西八条殿】

 西八条殿(にしはちじょうどの)は、平清盛の屋敷

 現在の梅小路公園とJR東海道線・JR山陰本線の線路敷地の六町歩(約518,400m2)内に
大小の邸館が50ほどあった

 「平家物語」によると、
 平清盛が、蓬(よもぎ)を愛し、壺庭に植えていたことから「蓬壺」とも称された

 「平家物語」によると、
 平清盛が、祇王の歌と気品のある舞いに心を奪われ、祇王の母や妹とともに西八条殿に住まわせ
寵愛(ちょうあい)したところ
 その後、16歳の仏御前の見事な歌と艶やかな舞いに心を奪われ、祇王を西八条殿から追い出してしまう
という物語の舞台
 祇王の歌碑「萌出づるも 枯るるも同じ 野辺の草 いづれか秋に あはで果つべき」が残る

【西八条殿の歴史・経緯】


【その他】

 <若一神社
 祭神:熊野大権現第一王子
 平清盛によって勧請された西八条第内の鎮守社
 境内には平清盛の像が立っている
 境内前にある大クスノキは、平清盛の手植えといわれる
 神木として切ると祟りがあるとして、西大路通は迂回して開通された

 <祇王歌碑>
 「萌出づるも枯るるも同じ野辺の草 いづれか秋にあはで果つべき」

【西八条殿跡へのアクセス】

 市バス 西大路八条 徒歩すぐ
 JR 西大路駅 徒歩約5分


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