若狭小浜藩邸跡(わかさおばまはんていあと)は、二条城南西にあった江戸時代の譜代大名 小浜藩藩邸の跡
御池通に面して矢城通の交差点に記念碑と灯籠が置かれている
幕末には、京都所司代 酒井忠義の本拠
将軍後見職 一橋慶喜が、将軍として二条城に入るまでの3年10ヶ月を過ごし、大政奉還を構想した場所とされる
小浜藩邸は「御池邸」「後見邸」「若州屋敷」「京都旅館」とも称せられた
<「若州 小浜藩邸跡」の石碑>
若狭小浜藩邸の跡を示すもの
石標の文字は、酒井家の建立時の当主が揮毫した
近くの住家庭園に残っていた藩邸の燈籠も移されている
建立年: 2002年(皇紀2662)平成14年7月10日
碑文:
北側:若州 小浜藩邸跡 酒井忠和書
南側:贈 2002年 中島辰男 福井県立若狭歴史民俗資料館長
若狭小浜藩主は、譜代大名の酒井家
敷地は、南北 御池通から三条通まで約260m、東西 神泉苑町通から知恵光院通まで約220m
西側の家臣の屋敷を合わせると約2万坪の広大な藩邸であったといわれる
<石燈籠>
石碑の傍らに立てられている
近くの住家庭園にあったものを移された
藩邸の燈籠で「萬延二辛酉年二月」「白須甲斐守源政春」と刻まれている
1861年(皇紀2521)万延2年のもの
<将軍 徳川慶喜>
徳川慶喜が、二条城に入るまでの3年10ヶ月を過ごす
朝廷の対応、四候会議、京都守護職、京都所司代、老中らとの協議などを行った
大政奉還への道筋を構想した場所とされる
二条城では2ヶ月間、大坂城では1ヶ月未満で、大半を小浜藩邸で過ごした
<梅田雲浜>
若狭小浜藩藩士