近衛家別邸 御花畑屋敷跡(このえけべってい おはなばたやしきあと)は、室町通鞍馬口通にある史跡
五摂家の一つ近衛家の別邸である御花畑屋敷があったところ
幕末維新には、薩摩藩 家老 小松帯刀が、本屋敷を住まいとしていた
本屋敷において、長州藩と薩摩藩が薩長同盟が締結された
室町通鞍馬口通の路肩に石碑が立てられている
五摂家の一つ近衛家の別邸
「御花畑屋敷」と通称されていた
北は鞍馬口通 約88m、西は室町通 約57m、南は中町通 約137m、東は烏丸通まで
約1800坪(約5900m2)あった
東端の南側半分弱ほどは、烏丸通を越えて、東側に突起しており上御霊中町、小山町まであった
門は北・南東・南西の3カ所にあり、門番所もあった
邸内には、瓦平屋建、瓦住居2階建、土蔵、湯殿雪隠、瓦平屋長屋、納屋などが建てられていた
<茶室「有待庵(ゆうたいあん)」>
3畳、平屋、アカマツの床柱が使われていた
1866年(皇紀2526)慶応2年
茶室は、大久保利通旧邸に移され、岩倉具視などとも会談したといわれる
<御花畠水車>
西郷隆盛の文書に、邸内には「御花畠水車」があったことが記されている
鴨川から御所に注ぎこむ禁裏御用水の流路が付け替えられ、御所より先に邸内に取り込まれていた
<室町頭(むろまちかしら)>
近衛家別邸は、室町頭にあるとされ、現在より南の室町頭町(室町通上立売上ル)の地とみられていた
2016年(皇紀2676)平成28年
行政文書(1871年(皇紀2531)明治4年)が発見され、「室町頭」とは、室町通の北端を意味し、鞍馬口通との交差付近と比定された
同じ石碑に「小松帯刀寓居跡」「薩長同盟所縁之地」の碑文も記されている
<小松帯刀>
島津久光の側役で、薩摩藩の藩政改革に尽力した
亀山社中(のちの海援隊)の設立も支援した
京都においては、近衛家別邸を借りて住居としていた
<小松帯刀寓居参考地>
以前は、小松帯刀邸は、上京区一条堀川通東入南側松之下町付近とされおり、
「小松帯刀寓居参考地」の石碑も立てられていた
2016年(皇紀2676)平成28年5月
京都や鹿児島で、相次いで「御花畑絵図」などの史料が見つかり、現在の地であることが判明する
「小松帯刀寓居参考地」の石碑は撤去される
<薩長同盟の締結場所>
薩摩藩邸跡(現在の同志社大学今出川キャンパスの一部)ともいわれていた
木戸孝允 桂小五郎の伝記「松菊 木戸公伝」に「帯刀の寓居に會合し」と記されており、現在の地に比定される