小野宮(おののみや)は、現在の烏丸夷川付近にあった平安時代の邸宅
平安京左京二条三坊十一町にあった
「小野宮」と称された文徳天皇 皇子 惟喬親王(これたかしんのう)が住んでいた
後に太政大臣 藤原実頼の邸宅となり、藤原実頼は「小野宮殿」と称された
平安京左京二条三坊十一町(大炊御門の南、烏丸小路の西、冷泉小路の北)に方1町の広さがあった邸宅
平安時代の典型的な寝殿造
寝殿の南に池、東・西・北に対屋(たいのや)があった
池の南東には念誦堂(ねんずどう)が建っていた
藤原実資の日記「小右記(しょうゆうき)」に小野宮のことが記されている
「小野宮」と称された文徳天皇 皇子 惟喬親王(これたかしんのう)が住んでいた
後に太政大臣 藤原実頼の邸宅となり、藤原実頼は「小野宮殿」と称された
後に、孫で養子の藤原実資へ伝えられ、娘 千古へ譲られたのち女系で伝領される
何度か火災にあいながら、鎌倉時代まで続いた
太政大臣 藤原実頼が「小野宮」を邸宅としたことで「小野宮殿」と称され、その家系は「小野宮家(流)」と称される
有職故実の家として繁栄する
藤原実頼の弟 藤原師輔から藤原兼家・藤原道長と続く九条家が摂関家の嫡流となり、平安時代中期以後は勢力を失った
<藤原実頼>
小野宮の祖
藤原北家 藤原忠平の子、母親:宇多天皇皇女 順子
号:小野宮殿
従一位・太政大臣・摂政・氏長者・贈正一位
<藤原佐理>
左少将正五位下 敦敏の長男
正三位・参議
<藤原頼忠>
藤原実頼の次男、母親:藤原時平の娘
号:三条太政大臣
従一位・太政大臣・関白・氏長者・贈正一位
<藤原斉敏>
藤原実頼の三男、母親:藤原時平の娘
従三位・参議
<藤原公任>
藤原頼忠の長男、母親:代明親王の三女
号:四条大納言
正二位・権大納言
<藤原定頼>
藤原公任の長男、母親:入道四品昭平親王の娘
正二位・権中納言
<藤原経家>
藤原定頼の長男、母親:源済政の娘
正三位・権中納言
<藤原公定>
藤原経家の長男:母親:大江定綱の娘
号:高松宰相
正三位・参議
<藤原懐遠(懐平)>
藤原斉敏の子、母親:播磨守藤原尹文の娘
正二位・権中納言
<藤原実資>
藤原実頼の四男、母親:播磨守藤原尹文の娘
号:後小野宮・賢人右府
従一位・右大臣
<藤原高遠>
藤原斉敏の子、母親:播磨守藤原尹文の娘
正三位・非参議
<藤原資平>
藤原実資の子、母親:源保光の娘
正二位・大納言
<藤原経通>
藤原懐平の長男、母親:源保光の娘
号:土御門帥
正二位・権中納言
<藤原経季>
藤原経通の次男、母親:近江守源高雅の娘
号:宇治中納言
正二位・中納言
<藤原顕家>
藤原経通の四男、母親:近江守源高雅の娘
号:六条大弐
正三位・参議
<藤原通俊>
藤原経平の次男、母親:藤原家業朝臣の娘
従二位・権中納言
<藤原経平>
藤原経通の子、母親:但馬守源高雅の娘
従三位・非参議
<藤原季仲>
藤原経季の子、母親:備後守正四位下藤原邦恒の娘
正二位・権中納言
<藤原資房>
藤原資平の長男、母親:近江守正四位下藤原知章朝臣の娘
正三位・参議
<藤原資仲>
藤原資平の次男、母親:近江守正四位下藤原知章朝臣の娘
正二位・権中納言
<藤原公房(本名 顕房)>
藤原資房の次男、母親:三河守源経相の娘
正三位・参議
<藤原顕実>
藤原資仲の子、母親:源経頼の娘
従三位・参議
<藤原資信(本名 資懐)>
藤原顕実の子、母親:宮内卿藤原師仲の娘
正三位・中納言
<池跡から出土した土師器>
2021年(皇紀2681)令和3年6月
小野宮の池跡から土師器(はじき)の皿が出土した
裏全面に、あご髭面の男性が墨書されていた
お皿は鬼が出入りする方角とされる鬼門に位置する場所から出土しており、災いを払う目的で埋められた可能性があるという
お皿は、直径約16cm、高さ約2cm
人面は、皿の裏側全体に描かれ、眉毛が太く、鼻下とあごに髭をたくわえ、口が大きく開いている
邸宅跡の北東端近くから池跡が出土し、水際の近くからは庭石が2個、発見される
庭石を安定させるために土中に詰め込んだ礎石の隙間に差し込むように、お皿が置かれていた
人面墨書土器は、主に奈良時代から平安時代初期に、災いを払う目的で作られていた