陰陽寮(おんようりょう)(Onyouryou) 京都通メンバ
陰陽道に関わることを司った省庁

跡地:京都市上京区中務町   名所地図情報名所

飛鳥時代平安時代の律令制に基づく

所属:中務省(なかつかさしょう)

役割:卜筮(ぼくぜい)・天文・暦・時刻のことを司った

陰陽博士・暦博士・漏刻博士などが配属された

別称:うらのつかさ、おんようのつかさ

創設:701年(皇紀1361)大宝元年
廃止:1870年(皇紀2530)明治3年

 陰陽寮(おんようりょう)は、飛鳥時代平安時代からの律令制にもとづき、陰陽道に関わることを司った省庁

 陰陽博士や陰陽師、天文博士、暦博士、漏剋博士などが国家公務員として、
 卜筮(ぼくぜい)(占い)・天文観測・暦作成・時刻のことを司る業務を行っていた

【陰陽寮の歴史・経緯】



【陰陽寮】

 陰陽寮
 朝廷の最高機関である太政官(だじょうかん)に属する中務省(なかつかさしょう)のもとに陰陽寮が設置された

 中務省は、天皇に侍従し、詔勅の宣下や叙位などの宮中事務、位記・戸籍などの事務と、
 朝廷に関する職務の全般を担い、八省の中でも最も重要な省とされた
 中務省には、大舎人寮・図書寮・内蔵寮・縫殿寮・内匠寮なども置かれていた

 陰陽寮には100名ほどの官職員が通っていた

 山城国・河内国・摂津国の3ヶ国で合計50余町の田園で職員の月料米にあてられていた
 職田として、陰陽博士に4町、天文博士に4町、暦博士に3町の田が支給されていた


 事務官僚
  陰陽寮の長官 陰陽頭(おんみょうのかみ)1名
    天文・暦数・風雲の気色・異変があれば密封して天皇に報告することが定められていた

  陰陽助(おんみょうのすけ)1名
  陰陽允(おんみょうのじょう)1名
  陰陽大属(おんみょうのたいぞく)1名
  陰陽小属(おんみょうのしょうぞく)1名


 専門職
  陰陽・天文・暦・漏剋の4部門が設けられた
  部門長であり生の指導を行う「博士」、博士を目指す「得業生」、見習いの「生」が配属される

 陰陽部門(おんみょうぶもん)
  陰陽博士(おんみょうはかせ)1人
  陰陽師(おんみょうじ)6人
  陰陽得業生(おんみょうとくごうしょう)2名
  陰陽生(おんみょうしょう)10人

 天文部門(てんもんぶもん)
  天文博士(てんもんはかせ)1人
  天文得業生(てんもんとくごうしょう)2名
  天文生(てんもんしょう)10人

 暦部門(れきもんぶもん)
  暦博士(れきはかせ)1人
  暦得業生(れきとくごうしょう)2名
  暦生(れきしょう)10人

 漏剋部門(ろうこくぶもん)(水時計により時間を計測する)
  漏剋博士(ろうこくはかせ)2人
  漏剋得業生(ろうこくごうしょう)2名
  漏剋生(ろうこくしょう)20人

 庶務全般を行う
  守辰丁(しゅしんちょう)20人
  使部(じぶ)20人
  直丁(じきちょう)3人


 <陰陽部門>
 行事などが行われる日時や縁起の良い方角の問い合せに対して吉凶を占い回答書の作成を行っていた

 6人の陰陽師は、宮中行事である五穀豊穣祈願、降雨祈祷、疫病退散、病気平癒祈願などで一年中多忙であったといわれる

 原則、朝廷に関わる公務以外は行っていなかったが、
 藤原道長など有力貴族の依頼も受けていたといわれる


 <天文部門>
 天体を観測して、月・星の動き、日食・月食の起きる日、彗星・流星の出現などを観測していた

 天体の位置を測定する機器「渾天儀(こんてんぎ)」を用いて、寅の刻(午前4時頃)・戌の刻(午後8時頃)の1日2回観測を行っていた

 天文密奏(てんもんみっそう)
 異常があれば、天文博士が占星術によって意味を占い、密封して天皇に報告することが定められていた
 そのことを口外することは禁じられていた


 <暦部門>
 年間の暦を制作し、朝廷・貴族に配布していた
 暦には、天文部門が観測した情報なども反映されており、毎日の吉凶や行動指針などが細かく記されていた

 朝廷や貴族は、この暦に基づき、年中行事や、日々の外出や不吉な方角を避ける予定を組んでいたといわれる


 <漏剋部門>
 漏剋(ろうこく)と称される水時計を用いて時刻を測定していた

 漏剋は、いくつかの容器に水を入れ、漏れ落ちる水をさらに下の容器が受けて、その中の目盛りによって時刻を測った

 毎時刻、守辰丁に鐘や鼓を打たせて、周囲に時刻を知らせていた

【陰陽寮跡】

 <平安京中務省東面築地所跡>
 二条城の北東、丸太町通美福通交差点北東に説明板がある

 この付近は、平安京大内裏の南東部にあたり、ここより南西に中務省が置かれていた

 周囲は築地で囲まれ、その南東端に陰陽寮があったとされる

 陰陽寮は、南北26丈(79m)、東西17丈(52m)の広さがあった


 <粟田神社
 平安時代初期
 陰陽寮より「この年、隣境に兵災ありて、秋には、疫病多いに民を悩ます」と天皇への報告があり、
 清和天皇の勅命を受けて、牛頭天王(素戔嗚尊)が祀られたのが由来

【その他】

 <陰陽道>
 遣隋使・遣唐使などで、百済より伝わった陰陽五行説が、
日本の神道・道教・密教などとも融合して、日本独自の陰陽道として成立していく


 <土御門家>
 天文博士 安倍晴明の役職を、次男 安倍吉昌(あべのよしまさ)が継承して以来、
 明治時代まで、陰陽寮の要職を世襲してきた一族

s  <幸徳井家>
 平安時代以前から朝廷の要職に就いていた有力氏族である賀茂氏一族
 安倍晴明の師匠 賀茂保憲(かものやすのり)から、明治時代まで、陰陽寮の要職を世襲してきた


 <元日の豊楽院の宴>
 群臣らは、禄を賜って延明門から退出する
 暦奏では、中務省の役人が、暦を置く机を担ぎ、陰陽寮の役人を率いて逢春門から入り、庭に机を置いて退出する
 儀鸞門外では、吉野の国栖が歌笛を奏して御贄を献じていた

【陰陽寮跡へのアクセス】

 市バス 丸太町智恵光院 徒歩すぐ
 地下鉄東西線 二条駅 徒歩15分
 JR嵯峨野線 二条駅 徒歩15分
 

【京都検定 第21回3級】

[インデックス]


京都通メンバページ

写真:表示/非表示

フェイスブックでシェア LINEで送る

[目次]


[関連項目]


[協賛リンク]



[凡例]

赤字
 京都検定の出題事項
 (過去問は下段に掲載)

ピンク
 京都検定に出題された
項目へのリンク

青色紫色
 関連項目へのリンク