大石良雄山科閑居跡(おおいしよしおやましなかんきょのあと)は、山科西部の岩屋寺に石碑が立つ
赤穂浪士 大石内蔵助良雄が、この地に邸宅を建てて、約1年ここで隠棲を装い、吉良邸討ち入りの機会を伺っていたところ
大石内蔵助良雄の邸宅は、討ち入り後に取り壊される
その廃材で、岩屋寺にある現在の茶室が作られた
茶室のそばの梅の木は、大石内蔵助良雄が討ち入り前に苗を植えたものといわれる
岩屋寺には、大石内蔵助良雄の遺髪を寺坂吉右衛門が祀った「遺髪塚」もある
<石碑「大石良雄君隠棲旧址」>
岩屋寺の門前参道北側の広場に立てられている
建立年:1901年(皇紀2561)明治34年
大きさ:高198cm × 幅約80cm × 奥行約30cm
碑 文:明治三十四年仲秋 大石良雄君隠棲旧址 正三位勲二等男爵北垣国道題
揮 毫:京都府知事 北垣国道
横には、十三重塔が建てられている
石碑の周囲には、大石良雄を偲び寄進された多数の石碑が立てられている
<山科義士まつり>
12月14日
赤穂浪士の討入り当時を再現する祭が行われる