大久保利通旧邸跡(おおくぼとしみちきゅうていあと)は、薩摩藩藩士 大久保利通が、京都に滞在したときの邸宅跡
小松帯刀が薩長同盟を結んだ密談のときに用いられた茶室「有待庵」が、
大久保利通により、邸宅に移設され、その後も、国事の密談に使われたといわれる
京都御所の東に石碑が建てられている
大久保利通は、薩摩藩藩士であり、明治維新の三傑(桂小五郎・西郷隆盛)の一人
岩倉具視らと討幕のための朝廷工作にあたり、大政奉還から王政復古に尽力した
<大久保利通旧邸>
1866年(皇紀2526)慶応2年正月から1871年(皇紀2531)明治4年6月までの間
薩摩藩邸から移り、京都に滞在中の邸宅を構えた
<大久保利通旧邸の石碑>
京都御所の東、上京区石薬師通寺町通東入南側
1927年(皇紀2587)昭和2年の建立
<茶室「有待庵(ゆうたいあん)」>
解体工事中の住宅敷地内で現存していたことが判明した
京都市が、所有者から寄付を受け保存に向けて解体、移築されている
1866年(皇紀2526)慶応2年に大久保利通が私邸を構えるときに、
小松帯刀が、薩長同盟が結ばれた邸宅 近衛家別邸 御花畑屋敷跡を手放すときに、
大久保利通が譲り受けた茶室を、人目を忍んで密談に使える場所として敷地の奥に移設したものといわれる
薩長連合の密談のときに用いられた茶室が、その後も、国事の密談に使われたといわれる
3畳、平屋、アカマツの床柱
柱などの部材から、近衛家別邸 御花畑屋敷跡の有待庵から移築して建てられた茶室と判断された
<扁額>
茶室内に残されていたもの
有待庵を訪れた西園寺公望が揮ごうしたといわれる