太田垣蓮月仮寓跡(おおたがきれんげつかぐうあと)は、幕末維新・明治時代の尼僧 歌人 大田垣蓮月の寓居の跡
醍醐寺三宝院の南側、醍醐小学校の東南に石碑が立つ
茅葺屋根
現在は、下村家の住宅
北側の旧奈良街道沿いに石碑が建っている
大田垣蓮月は、幕末維新・明治時代の尼僧・歌人・陶芸家
飢饉救済の活動など慈善活動も行った
晩年は、西賀茂の神光院の茶所に住み余生を過ごし、85歳で亡くなる
お墓は西方寺にある
歌人としては、税所敦子と共に、桂園派を代表する
茶の湯、いけばな、舞唄にも優れていた