円山応挙誕生地(まるやまおうきょたんじょうち)は、江戸時代後期の画家 円山応挙の生誕の地
亀岡市市街地から西部の曽我部町穴太の穴太寺の近くにある
江戸時代中期、1733年(皇紀2393)享保18年
円山応挙は、丹波国桑田郡穴太村(亀岡市)の農業 丸山藤左衛門の次男として生まれる
9歳の頃、近くの金剛寺に小僧として入門し、絵の才能を見出され、狩野派 石田幽汀に弟子入りする
その後、写実を基本とした円山派を樹立する
金剛寺には、円山応挙の作品が収蔵されている
悟真寺(四条大宮西入、後に右京区に移転)に葬られる
「円山応挙誕生地」の石碑が建てられていたが、現在は、お墓がある悟真寺に移設されている