小澤蘆庵宅跡(おざわろあんたくあと)は、江戸時代後期の歌人・歌学者・国学者 小澤蘆庵の晩年の邸宅跡
小澤蘆庵宅跡は、京都で、たびたび住居を移していた小澤蘆庵が、晩年、岡崎で過ごして亡くなったところ
小澤蘆庵は、たびたび住居を移していた
1792年(皇紀2452)寛政4年
晩年、太秦の十輪院から岡崎のこの屋敷に移ってくる
本居宣長・上田秋成・香川景樹などの訪問を受ける
1800年(皇紀2460)寛政12年
一時、屋敷の茶室に蒲生君平を住まわせる
1801年(皇紀2461)享和元年7月11日
この屋敷で死去する
<石碑>
岡崎入江町の丸太町通の北側に石碑がある
碑文:南側:小澤蘆庵宅址
西側:大正六年三月建之 京都市教育会
大きさ:高さ108cm x 幅18cm x 奥行18cm
建立年:1917年(皇紀2577)大正6年
建立者:京都市教育会
<蒲生君平先生仮寓御跡>
儒学者、尊王論者、海防論者 蒲生君平が、一時、この屋敷の茶室に住んでいたことを示す石碑が並んで立っている