陸軍第十六師団は、伏見区深草に司令部をおき駐屯した陸軍の部隊
伏見区深草には、伏見奉行所跡などがあり、
陸軍の創設にあたった大村益次郎が陸軍用地として選定した、日本最古の陸軍用地といわれる
師団は、歩兵・騎兵・砲兵・工兵・輜重兵(弾薬や食糧などの補給・輸送に従事)など全ての兵種を持ち、
その部隊だけで戦争ができる部隊の単位
<陸軍第十六師団司令部庁舎(国の登録文化財)>
1907年(皇紀2567)明治40年の竣工
奈良街道沿いにある
赤煉瓦造、二階建て、銅板葺き
現在は、聖母女学院本館として使用されている
<師団街道>
京都市街地と駐屯地を結ぶ道路の整備が行われ、
鴨川運河(琵琶湖疏水)の西側を南北に走る道路
一帯には、歩兵、騎兵、砲兵、輜重兵(しちょうへい)、工兵の各連隊が配置される
兵器庫、衛兵病院などもあった
<第一軍道・第二軍道・第三軍道>
師団街道から第十六師団司令部の位置する東に向けて、3本の道路が造られる
「第一軍道」と記された道路標識が残されている
<師団橋>
第二軍道が、鴨川運河(琵琶湖疏水)をまたぐ橋
橋脚には、陸軍の星マーク(五光星)が残されている
<師団練兵場>
龍谷大学・京都府警警察学校となっている
<師団長官舎>
1918年(皇紀2578)大正7年に建築されたもの
2000年(皇紀2660)平成12年前に解体される
<輜重兵第十六連隊>
陸軍第十六師団の隷下部隊
門柱・門・哨舎は、京都教育大学敷地内に移設されるが、その後、破棄されている
<伏見浄水場>
軍用水道とされていた
浄水場のろ過池だった現在の北堀公園の貯水池に水位計が残されている
<伏見浄水場 事務所>
跡地は、藤城小学校となっている
<陸軍野砲連隊兵舎>
移転してきた藤森中学校の木造校舎として転用された
1969年(皇紀2629)昭和44年
東半分が、京都市青少年科学センターとなる
<京阪電車本線 師団前駅>
1910年(皇紀2570)明治43年4月15日
京阪電車の開通と同時に開業
1941年(皇紀2601)昭和16年
駅名が陸軍師団の所在地を示すとして、「藤森駅」に改称される
3本の軍道は、踏切が訓練や演習に支障をきたさないようにと、開通当時から、それぞれ高架橋とされた
<近鉄電車京都線 澱川橋梁>
宇治川にかかる鉄道用複線下路式トラス橋
全長162.4m
日本に存在する単純トラス橋としては最大の支間長を備える
1928年(皇紀2588)昭和3年4月1日
当時の奈良電気鉄道が架設工事を開始する
河川敷が陸軍第十六師団の演習場となっていたため、師団からの橋梁の無橋脚化の条件に従い設計された
杭打ちは、陸軍第十六師団隷下の工兵隊により施工された
<軍人湯>
伏見街道(本町通)にある銭湯
<騎兵第二十聯隊跡>
日露戦争のときに編成され、陸軍第十六師団司令部の南側に兵営が設けられた