療病院址(りょうびょういんあと)は、府立医科大学附属病院の前身となった療病院の跡 蘭学医 明石博高が、府民や寺院より資金を募って木屋町通二条下ル付近に創設される 欧州の医師により治療され、西洋医学の技に触れ日本の近代医療の発展に寄与し、 検梅や種痘(しゅとう)なども日本では先駆けて行われた 1ヶ月後に、青蓮院に移転される 1954年(皇紀2614)昭和29年 京都府立医科大学創立八十周年記念事業委員会により、石碑が立てられる