佐賀鍋島藩屋敷跡(さがなべしまはんやしきあと)は、江戸時代初期の時代に、
肥前国佐賀郡(現在の佐賀県)の鍋島家の佐賀藩邸があった跡地
四条通堺町に石碑が立つ
新町通御池には、支藩の肥前鹿島鍋島藩屋敷跡の石碑がある
佐賀藩(さがはん)は、肥前国佐賀郡(現在の佐賀県)で35万7千石余を与えられた外様藩
「肥前藩(ひぜんはん)」とも称される
戦国時代には、鍋島家は龍造寺家の家臣だった
龍造寺隆信の死後、鍋島直茂が領地を受け継ぎ、佐賀藩(鍋島藩)が成立する
鍋島氏が藩主であったことから「鍋島藩(なべしまはん)」とも俗称される
蓮池藩・小城藩・鹿島藩の三家の支藩があった
江戸時代末期
鍋島閑叟が中心となり、鉄鋼・大砲(アームストロング砲)・蒸気機関などの研究開発を行い最も近代化された藩の一つとなる