西寺跡(さいじあと)は、平安京の造営のとき、東寺とともに二大官寺の一つとして羅城門の西に創建された寺院の史跡
現在は、唐橋西寺児童公園に石碑がおかれている
平安時代初期
794年(皇紀1454)延暦13年
平安京の造営のときに、桓武天皇の勅願により東寺とともに二大官寺の一つとして羅城門の西に創建される
寺域は、200m四方あり、伽藍の規模は東寺と同じで、僧綱所などが置かれた
824年(皇紀1484)天長元年夏 「雨乞い合戦」
長期間雨が降らず大干ばつとなり、淳和天皇は、東寺の弘法大師 空海と、西寺の守敏大師(しゅびんたいし)に、
神泉苑での降雨祈祷を命じる
先に名乗りをあげたのが守敏大師だったが、17日間も祈祷を続けたが雨は降らなかった
次に空海
守敏大師は、雨を降らす龍神の動きを呪術によって止めていたというが、
空海は、天竺の無熱池に棲む善女龍王(ぜんにょりゅうおう)を勧請し、降雨祈祷を行い、
みごとに3日3晩、雨を降り続けさせたといわれる
この雨乞い合戦により、東寺は栄え、西寺は、守敏大師の衰退とともに廃れていったといわれる
990年(皇紀1650)正暦元年
火災が相次ぎ、ほぼ全焼する
1233年(皇紀1893)天福元年
焼失し、以後再建されることがなかった
<西寺>
西寺跡から、徒歩約3分のところ(南区唐橋平垣町)
「西寺」の寺号のみを継いだ小いさな寺院がある
<石碑>
唐橋西寺児童公園の中央の丘の上に、石碑が立っている
<礎石>
石碑の横に、発掘時に出土した金堂の大きな礎石がおかれている
<旭日の杜(あさひのもり)>
松尾大社では、西寺跡の唐橋西寺児童公園を「旭日の杜(あさひのもり)」と称される
4月下旬の松尾大社の松尾祭の還幸祭では、全ての神輿が集合して祭典がが行われる