佐久間象山寓居跡(さくましょうざんぐうきょあと)
所在地:
京都市中京区
木屋町通御池下ル東側上大阪町
地図情報
佐久間象山寓居跡(さくましょうざんぐうきょあと)は、信州松代藩の下級武士・兵学者・開国論思想家 佐久間象山の最後の住居の跡
各藩邸や志士の寓居が多かった木屋町通御池下ルに石碑が立ち、
近くには、武市瑞山先生寓居跡・吉村寅太郎寓居跡もある
佐久間象山は、信州松代藩の下級武士、兵学者、開国論の思想家
江戸時代後期
1811年(皇紀2471)文化8年2月28日
信州松代藩に生まれる
1839年(皇紀2499)天保10年
大塩平八郎の乱から「学政意見書」を信州松代藩に提出して陽明学の弊害を述べ、
儒学・朱子学の再興を主張して、神田に私塾「象山書院」を開き、勝海舟、吉田松陰、
坂本龍馬などを輩出する
幕末維新
1864年(皇紀2524)元治元年3月
一橋慶喜に招かれて上洛
開国論を主張して公武合体論を唱える
同年5月
最後の住居である、この地に移り住む
同年7月11日
三条
木屋町通で、開明的言動のため攘夷派志士の前田伊右衛門、河上彦斎らによって暗殺さる
三条
木屋町通には、
佐久間象山・大村益次郎遭難の地の石碑が立ち、
大法院にお墓がある
【佐久間象山寓居跡へのアクセス】
地下鉄 市役所前 徒歩約5分