人康親王山荘跡(さねやすしんのうさんそうあと)は、山科北部にある、人康親王が出家して隠棲した山荘跡
「伊勢物語」によると、邸内には風情ある苑池が設けられていたといわれる
諸羽神社の参道に石標が立っている
仁明天皇の第四皇子であったことから、この地を「四ノ宮」と称されるようになった
<人康親王山荘跡の石碑>
諸羽神社の参道横の林のなかに立てられている
「この附近人康親王山荘跡」と記されている
1972年(皇紀2632)昭和47年6月11日
認証記念により石碑が建立される
平安時代初期
831年(皇紀1491)天長8年
仁明天皇第四皇子、母親は女御 藤原沢子として生まれる
同母兄が、光孝天皇
859年(皇紀1519)貞観元年
病により目を患って出家して山科に隠棲する
872年(皇紀1532)貞観14年5月5日
死去される
「伊勢物語」に登場する「山科の禅師親王」に比定されている
琵琶の名手で、山荘にて琵琶や詩歌を教えていた
諸羽神社には、親王が坐って琵琶を弾いたと云う「琵琶石」が残っている
<当道の祖>
当道とは、盲目の男性が集まった組織
江戸時代には、座頭・琵琶法師等の祖先とされた
人康親王の崩御後、側に仕えていた人に「検校」の位が与えられ、当道での「検校」という衣冠の由来といわれている
江戸時代には、
検校の位にある琵琶法師が毎年当地に集まり、琵琶を演奏し親王の霊を慰めたといわれる
<四宮(しのみや)>
山科区北東部の地域の名称
仁明天皇第四皇子 人康親王が山荘を営んだのが地名の由来といわれる
東は平坦地で、大津市と接しており、大和・山城と近江を結ぶ交通の要衝とされてきた
<人康親王供養塔>
徳林庵地蔵堂の奥に立っている
「琵琶法師の聖地」とされる
<四宮地蔵>
山科区四ノ宮泉水町にある
「人康親王 蝉丸 供養塔」と記された石碑が立っている