薩摩藩邸跡(さつまはんていあと)は、幕末維新に相国寺南の二本松に新たに造られた二本松藩邸の跡
薩摩藩邸は、本邸が錦小路東洞院の「錦小路藩邸」、伏見下板橋通に「伏見藩邸」の3ヶ所と、
等持院の近くに、小松原薩摩藩調練場の一角に勤番屋敷があった
二本松藩邸は、現在、同志社大学の一部となっている
薩摩藩は、島津氏を藩主とする外様藩で、約77万石
幕末維新では、公武合体派を推進する中心的な藩となる
二本松薩摩藩邸は、相国寺南門 勅使門の横から西側にL字型に相国寺境内に沿うように、
今出川通を隔てて、島津家と関係の深い近衛家の屋敷(京都御苑内)と向かい合うように建っていた
御所の北側にあった武家屋敷には、御付武家以外では、薩摩藩のみ藩邸があった
近くには西郷隆盛邸や薩摩藩 家老 小松帯刀の邸もあったといわれる
敷地の広さ:5805坪(約1万9千m2)
建物:9棟と多くの土蔵が立ちならんでいた
<石碑「此付近薩摩藩邸跡」>
同志社大学の西側の門近くに立つ
<薩摩藩屋敷跡>
等持院村(現在の北区白梅町)
等持院の近くに活動拠点があった
<薩摩屋敷跡>
中京区東洞院通錦小路下ル東側
<小松原・薩摩藩調練場>
等持院の近くの薩摩藩屋敷跡の近くにあった