千利休居士遺蹟不審菴(せんのりきゅうこじいせきふしんあん)
所在地:
京都市上京区
小川通寺之内上ル東側
地図情報
千利休居士遺蹟不審菴(せんのりきゅうこじいせきふしんあん)の石碑は、千利休が切腹後に、
豊臣秀吉により継子 千少庵が千家復興を許され拝領したこの地に復興した千利休ゆかりの不審菴(国の名勝)を示す
不審菴(ふしんあん)は、表千家(おもてせんけ)の代表的な茶室
不審菴の前に石碑が立つ
「不審菴」とは、茶室の名前でもあるが、表千家の屋敷全体や組織のこともさしていう場合もあり、
千宗左家元の号でもある
【不審菴の歴史・経緯】
【千利休(せんのりきゅう)】
千利休(せんのりきゅう)は、安土桃山時代の
茶道の大成者
何も削るものがないところまで無駄を省いて緊張感を創造するわび茶(草庵の茶)の完成者
堺生まれ
北向道陳・
武野紹鴎らに茶の湯を学び、
織田信長・
豊臣秀吉に仕えた
豊臣秀吉の関白拝賀の禁中茶会で、
正親町天皇から居士号を賜った
豊臣秀吉の北野大茶会では、茶頭として活躍した
大徳寺に寄進した三門の上層に千利休像を置いたことで、
千利休の下を通らなければならないことに
豊臣秀吉の怒りをかい自刃を命じられたといわれる
お墓は、
大徳寺塔頭聚光院にある
【不審菴へのアクセス】
市バス 堀川寺之内 徒歩約5分
地下鉄 烏丸線
鞍馬口駅 徒歩約15分
【京都検定 第1回2級】